小学校1年生のアレルギーっ子母・カオリです。私自身には食物アレルギーはなく、子どものアレルギーで初めて身をもって体験しています。「負荷試験」も「自宅負荷」も訳が分からないまま始まり、今もなお試行錯誤な日々が続いています。今回はわが家での現在の自宅負荷についての考えや、やり方についてお話します。
右も左もわからずにスタート
自宅負荷の開始は0歳と早かったです。授乳で足りない分を補っていた粉ミルクで判明しました。当初は食物アレルギーと分からず、納得がいかない診断に病院を転々としながら、やっと行きついた総合病院にて受けた血液検査にて、小麦・乳・卵のアレルギーが確定。未知の世界すぎて、驚きもしませんでした。
病院の負荷試験を受け、自宅負荷が始まりました。間違えられない計量への緊張感、ごく少量で出てしまった症状という現実にて、理解をしていきました。卵で言うと、固ゆで卵を潰して溶いて練りこんだ蒸しパンを作ったり…。よくあんな美味しくないものを食べてくれていたなぁと、今では自分の技術の無さを反省しています。
食べたくないという気持ち
性格もありますが、ずっと素直に食べてくれていました。症状が出ても、まだ恐怖心に結びつかない年齢で、次もすんなり食べていました。しかしそれは”まだまだ赤ちゃんだったゆえ”のこと。
5歳で始まった「食べたくない」「どうして食べなきゃいけないの?」という主張。味覚のめばえ、思考力の成長、まずいものはまずい。当然の思いです。むしろ5歳まで言わずにいてくれたのが奇跡みたいなものです。
病院での負荷試験は、年齢を重ねるごとに量が増え、症状もしっかり出るようになりました。そうなると「食べてはいけないものを食べている」=「苦しい思いをする」という結びつきが、本人の中でも理解できるようになり、やがて警戒心を生み出しました。
しんどくなるのが目に見えているのに食べなくてはいけない。『これは治療なのだ』と、どれだけ説明されようと、子どもが乗り越えるにはあまりにも大きい不安なのです。
本人の選択。対する尊重。
自宅負荷について、本人に選ばせることにしました。「食べたくない」と言えば、食べなくて良しとしています。渋々のOKや、突き放す感じではダメです(笑)
子どもの気持ちを丸ごと肯定する雰囲気で、極めて軽く明るく「食べなくても全然構わない」と伝えます。同時に、自宅負荷をしている最中ではなく別の落ち着いた時間に、『どうしてそれをするのか』を、本人の「お店の唐揚げが食べたい」という願望に繋げて説明しました。
それらが功をなしたのかは不明ですが、今のところ、本人の意思による自宅負荷の休止は少なく、だいたい文句を言いながら食べてくれます(笑)
それでもまた食べない日がくるかもしれません。そのままずっと食べないかもしれません。それも良しとする覚悟はしています。私が幼い当事者だったら、大人にそうあって欲しいと望むだろうと想像しました。あくまで本人の自由であり、本人の人生なのです。食べないという選択は、当然の行動です。
親としてどんと構えていたい
自宅負荷に正解はありません。つまるところは結果論で、将来本人が感じることが全てなのかもしれません。食べないことを尊重したことにより、「どうして食べさせなかったんだ!」と、いつか言われる心づもりもしています。その時も極めて軽く明るく言い返してやるつもりです。そのくらい、確かな答えはありません。
ひとりひとりの道だから
大切にしたいのは、”本人が人生を楽しむこと”。それはアレルギーがあってもなくても同じです。さえぎる権利は、親にもアレルギーにもありません。日々忘れないように、たくさん笑えるように、慈しみ生きたいです。
「アレルギーを理由にできない事は、アレルゲンの摂取(接触)のみ」という考えで、アレルギーのある子どもを育ています。たくさんの経験をさせる事と、命を守る事の両方を同じくらい大切にしたいです。
インスタグラムなどにてアレルギーコミュニティ「DESSA(デッサ)」を運営中。