こんにちは。母歴20年・アレっ子ではない大学生の娘とアレっ子である高校生の息子、二人の子どもを持つヨーコです!息子には乳製品、ピーナッツのアレルギーがあります。
突然ですが…
皆さんは「アナフィラキシーショック」という言葉をいつごろ知りましたか?恥ずかしながら私は、息子が救急搬送されて初めて知りました。
※アナフィラキシーとは…
何かしらのアレルゲンによって一つの臓器にとどまらず、皮膚、呼吸器、消化器、循環器、神経などの複数の臓器に重篤な症状が現れること。
※アナフィラキシーショックとは…
アナフィラキシーにおいて、ショック症状(血圧低下やそれに伴う意識障害などの症状)を伴う場合。命をおびやかす可能性がある。
人ごとだったアレルギー。あの頃の自分を猛省。
人生初のアレルギー対応は「母体からのアレルゲン除去」と「塗り薬」
今から約17年前のこと。息子に重篤なアレルギーがあると分かったのは生後7ヶ月でしたが、生後2ヶ月から皮膚はただれ、喘息のような症状もあり、近所の小児科を受診していました。
当時は幼すぎるため息子の血液検査は厳しいとのことで詳細な検査は出来なかったものの、お医者様の判断で、「私自身が卵と牛乳を除去し、母乳からの摂取をしない」「塗り薬で様子を見る」という生活を送ることになりました。
もともと食いしん坊な私。除去することに落胆しましたが、「我が子のため!」と自分を奮い立たせて取り組むことに。ちなみに「牛乳1日1杯くらいはいいよ。」と先生から言われていたこともあり、少しは気が楽でした。その日の病院帰り、最後の晩餐の如く、シュークリームを買ったことを覚えています。
私のゆるい除去と塗り薬を使い始めると、息子の肌はすっかり綺麗になりました。当時の私は、自分に都合良く「除去したことよりも塗り薬のおかげ!」と強く思っていました。今から思い返せば、「食物アレルギーではないはず、そんなわけない」と思い込んだ私の『甘さ』が息子を苦しめることになってしまうとあの頃わかっていたら…と後悔してもしきれません。
息子の命を脅かしたのは、他でもない「私」だった
生後7ヶ月になったある日。
お昼に市販の瓶詰め離乳食〈ほうれん草グリンピース〉と書かれたものを息子に食べさせました。しかし私の除去は素人同然、あろうことか「加工品の原材料を確認していなかった」のです。その商品には「乳製品」が入っていたことに気づけず与えてしまったのでした。
食べさせたあと、息子はスヤスヤと寝ていました…いや、寝ていると思っていたのは私の勘違いだったのです。
息子は静かに寝ていたのではなく、「呼吸が出来ずに倒れていた」のでした。
しばらくして私は息子の異変に気付きました。「いつもと何か違う…顔も赤いし熱もあるような…」と。息子に何が起きているかもわからず心配になり、とっさに近所の小児科へ連れて行きました。
近所の小児科についたときの息子は、もうそこでは対処できないほどに悪化しており、急いで総合病院に搬送されることとなりました。目の前で何が起きているかも把握しきれずに呆然としている私に、看護師さんはこう言い放ちました。
「お母さん!!!しっかりしなさいっ!!!命にかかわるのよ!!!」
…アレルギーで命を落とす?ブツブツが出来たりするだけじゃないの?アレルギーって何?
これが当時の私の心境でした。
息子の状態は血圧が低下し、チアノーゼも出ていました。
つまり「アナフィラキシーショック」だったのです。
何が起きたかをようやく理解した時、看護師さんが私に言ったあの言葉の深刻さをやっと受け止められるようになりました。「そうだ、その通りだ。私は母だ、私がしっかりしなくては!」と強く思いました。
その後の私
あれからアレルギーに詳しくなりパワーアップした私は、今では当時のことを面白おかしくネタのように伝えられるようになりました。(芸人さんが不幸話もネタにして笑いを取れることを尊敬していたからかもしれません。)こころなしか、笑える話として話した方が深刻な話より、他の方の心に残ってくれている気がしています。
その成果もあってか、幼稚園時代からの友達であれば「私より詳しいのでは?!」と思うほどアレルギーのことをよく理解してくれていますし、実際に助けていただいた場面もたくさんありました。今後、私が息子の一大事に駆け付けられない状況が起きるかもしれません(体調不良や事故などで)。そんなことも考えヒヤヒヤすることもありますが、周りの方に理解や協力をいただけ支えていただけている今の状況は、本当にありがたいことだと思っています。
息子本人にもアレルギー教育
周りに頼ってばかりではなりません。息子本人にもしっかり、自分で身を守る術を身に着けてもらわなければなりません。(親が守るだけでは息子の為にもならないので!)
「乳」の文字は3才頃には理解していたと思いますし、(事情を知らなければ、とんだおっぱい好き幼児ですが(笑))外でお菓子を手渡される場面でも、自ら「あれりゅぎー」と言って、すぐに受取らずにいました。(「よしよし!」と思いました。)
小6の時には担任の先生にも、「アレルギーのこと「だけ」はしっかりしている!」と太鼓判を押してもらいました。(「だけ」と言われても…これは喜んでいいのか微妙ですね…(笑))
無知だった私だからこそのアレルギーとの付き合い方。
ここまでお話させていただいたように、私はアレルギーがどんなに怖いものかを全然わかっていなくて、息子の命を脅かすほどの大失態をしてしまいました。だからこそ、アレルギーに詳しくない方や初めてアレルギーと向き合っているパパ・ママの気持ちも分かる。知らなければ私のようになってしまう可能性があるからこそ、多くの人に知ってもらいたいです。
失敗は誰にでもある。でも、そこでお互いに寄り添う気持ちが大切
そしてもう一つ。失敗してしまったとしても、その人を責めることはしないでください。やってしまった本人は、誰よりも心底反省して落ち込んでいます。また、誰よりも一番、自分自身を責めているのです。
人を責めても起きてしまったことは変わらないし、責めることでは何も生みだせないのです。特に、身近にいる方が責めてしまうと当人は「孤独」になってしまいます。支えを一番必要としている場面なのに…。
ちなみに、息子が病院に搬送された時、私の夫は「1人で怖かったでしょう。頑張ったね。」と声をかけてくれました。この言葉かけをしてもらって、私は「責めてはいけない」ことの大切さ、「大変な時こそ寄り添うことで次のステップに繋がる大切さ」があるんだと気づかされたのでした。
今回のお話は以上です。私の失敗と学びが、アレルギーっ子と生きるパパ・ママの参考になれば幸いです。
大学生(娘)、高校生(息子)の母。
息子が生後7ヶ月、乳製品でアナフィラキシーショックを
起こしたことをきっかけに食物アレルギーの世界に足を踏み入れる。
お笑い大好き!
辛いことこそネタにして笑い飛ばして前に進む!
そんな生き方目指しています。
旅行会社8年、給食調理員6年の勤務経験あり。